先日、3歳の幼児がイメージビデオを出すことについてツイッターでいろいろ流れていました。
いったいどういうことだ。3歳に欲情するなんて変態。なんとかやめさせなければ。などなど。
いろんな視点から様々な意見が見られました。
こういう問題はどう考えたらいいのでしょう。
まず、「道徳」と「倫理」の違いを認識しなくてはいけません。
「モラル」と「エチカ」が「道徳」と「倫理」に訳されているのでその通りで進めます。
この場合 親が同意している
犯罪性がない
だから個人の勝手じゃん?まわりがとやかく言うことではないよね、と思う人は道徳を無視して個人の倫理で考えています。
「かかわった全員が納得していようとも、3歳の子供を性の対象となりうる商品にするなんて間違ってる、というのは道徳的な考えです。
道徳とは本人たちがいくら良くても、それはいけないだろう、という、規範になるものです。
もっと具体的に言うと
女子高生が売春して「誰にも迷惑をかけてないし」と開き直るのは個人の倫理で物を言っています。
「いや、本人がよかろうと同意していようといけないことである」というのは道徳です。
そう考えると。
たとえば同性婚。
私は本人たちが良ければいいじゃないか。したくない人にしろって言ってないし。 と思うのですが、これ道徳を無視してることになるんですよねw
反対派の人たちは道徳を重視してるわけです。
先日来世間をにぎわせてる「婚外子の相続」問題も同じです。
反対派は道徳的に許せない。
と、ネット上で侃侃諤諤とやりあってる話題があるとき、ここに注目すると「あー食い違ってるなー」と思うことがよくあります。
どちらが良い悪い、正しい間違ってるというよりも、視点が違うから言い合ってもかみ合わないまま終わります。
何かを考えるとき、この違いを抑えておくことは、考える上で一つ指針になります。
法律で決まっていれば話は簡単ですが、すり抜ける穴ってのは必ずあるものでして。
法律は道徳寄りでしょうね。個人の倫理、実はエチカと言うのは倫理というよりもっと精神的なものを言います。
たとえば人殺しはいけない。これはモラル。
信仰のために戦争をして人を殺す。これを許すのはエチカ。
さて、3歳のイメージビデオです。
幼児は見ているだけで心が和む存在でもありますが、そのスジの人には性的対象になる場合もあるのでしょう。
しかしこれはイメージビデオです。おかあさんといっしょで流されるような女の子がただ遊んでいる姿を販売したからといって警察は規制の対象には出来ないでしょう。
数の問題、という言い方はつまり普通の商品なら消費者が騒いで大事になればイメージダウンを恐れる企業がすぐに販売をとりやめることが多い、その路線で差し止めを狙いたいということと思われます。
でもこの手の会社がとりやめるとは思えません。
しかし犯罪性がない、法に触れないのであるなら単なるイメージビデオの規制は出来ないしするべきではありません。
一旦規制が出来てしまえばあらゆる作品に適用されてしまうからです。
何を芸術とし、何を低俗とするかの線引きが出来ないからです。
表現者が自由に表現できなくなる悲劇は防がねばなりません。
「作家が書きたいものを書けなくなった時、市井の人はとっくに言いたいことが言えない世の中になっている」
ああ、もちろんこんなのを撮影された女の子には心から同情します。
たぶんお金と引き換えに承諾したであろう親は地獄へ落ちろと軽蔑しますし、かかわった大人すべてを蛇蝎のごとく嫌悪します。
同じく同人誌などの児童ポルノのひどさは、文字通り目を覆うばかり。
若干オタクの遺伝子も持っている私でも吐きそうになるようなストーリーと画で、とても読み進められるものではありませんでした。
それでも表現の自由は守らなければいけないと思います。
今回の場合はあきらかに肌の露出が大きいので、18歳以下の露出割合に関する規制なら出来てもいいと思いますね。
以前、米国に住んでいた友人と海へ行きました。彼女は4歳の男児を連れており、銭函の海で水着に着替えさせました。男の子だし気にせずすっぽんぽんにしながら「これがアメリカだったら私は逮捕w」と笑っていました。
そんな世の中も窮屈そうですが、表現の自由に抵触しない規制ならやりようがあると思います。
子供を守ることはどの国でもどんな世界でも最優先されるべきことだと思っていますから。
しかしそのように性犯罪、とりわけ子供に対する犯罪に対して非常に厳しい米国で犯罪件数が少ないのか?と言ったらそれも・・
斯様に線引きは難しいものでございます。